SSブログ

長野県中野市月岡遺跡で中近世玉将経石(長さん)

今回は土器ではなくて、ありきたりの石に
経文の字を書いた中世の経石に、お経の内
容ではなく、将棋駒の玉将のように見える
字が書かれているように見える出土遺物が
あるという内容の話題である。

誤読であり普通の経石であるとみられる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
22281_1_月岡遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書
95月岡遺跡、2010.3、独立行政法人
鉄道建設・運輸施設整備支援機構・
鉄道建設本部北陸新幹線建設局・長野県
埋蔵文化財センター。
 発掘報告書巻末の抄録によると、遺跡の
位置は長野県中野市岩井。話題にする遺物
の出土した時期は、西暦2002年から、
2003年の間との事のようである。
 遺物の成立年代は、経石製作のもとになっ
た寺が、中世から近世にかけて存在したと
考えられているが、成立年代は確定してい
ないようである。
 遺物の写真は発掘報告書の、写真図版
(PL)41:”経石25”の第2段目右
端に在り、遺物番号第733番とナンバリ
ングされている石である。発掘報告書の第
205ページ付近の遺物観察(経石)の表
の第733番経石の参考釈文によると”月”
という字、一字に読めるとの事である。

月岡733玉将.gif

 上図のように、月と読むにしては汚れが
多いと、本ブログの管理人には明らかに認
識される。玉将であると言われれば、その
ような模様も含まれているように見える。

将棋は11世紀に成立しているので、玉将
と書いてあったとしても問題は少ない

とみられる。がしかし将棋は在来仏教では
禁止されていた賭博と関連し、仏教寺院で
管理上はネガティブ扱いだったため、玉将
が何らかの経文の文句に、たまたま含まれ
ているとしても、2文字そのまま経石に書
くというのも、誤解を招くとい意味で、不
自然さが全く無いとまでは言えないと思う。
 そこで遺物の模様を良く見ると、摩訶の

”訶”の字にむしろ近いようである。

月では無く可。ゴンベンの口が、左下に薄
く見える。そして、そう考えた場合には、
玉の縦線と点が汚れとの解釈になるが、縦
線は、筋が将の部分にまで伸びているので
傷で説明が付き、玉の点は汚れとして小さ
いので、たまたま存在するのであろう。そ
れに対して玉将と誤読した時には二本の長
く直線的に伸びた線の一部分を、敢えて字
画の一部に取り込んで読んでいるという、
不自然さがあるのである。そこで以上の事
から今の所本ブログでは、

摩訶というフレーズが経文に在って、その
うちの第2字目を書いたのであり、普通の
経石のひとつという事

でしか、このケースは無いと、用心深く結
論しておく事にする。(2022/03/05)

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー