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茨城県行方市木工台遺跡で7C角仲人墨書土器(長さん)

今回は、茨城県で飛鳥時代には、ほとんど
日本語が今と同じだったとみられ「使用人」
という、雇い鍛冶細工師を意味する墨書
土器が出土しているとの旨の紹介をする。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
18905_2_木工台遺跡.pdf
発掘報告書の表題は以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第140集
木工台遺跡1、1998年9月、茨城県・
財団法人茨城県教育財団。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の
位置は、茨城県行方郡北浦町(当時)大字
内宿字井戸作台1508番地。遺物が出土
したのは西暦1996年前後の事のようで
ある。
 遺物の成立年代は、発掘報告書、第1本
文pdf:
18905_1_木工台遺跡.pdf
の第14ページによると、話題にする遺物
は、第2号竪穴住居跡より出土したが、そ
の住居跡の成立が、”遺構の形態及び出土
遺物から古墳時代後期(7世紀前半)と思
われる”と記載されており、遺物も7世紀
前半のものとみなされてるようである。な
おこの第2竪穴住居跡からは、”炉跡が検
出されており、工房等、住居以外の目的に
使われた可能性が高い”との事である。も
ともと、鉄材精錬つまり鍛冶関連の遺跡で
あるようだ。
 遺物の写真は、発掘報告書第2写真図版
pdfの、写真図版(PL)23の下から
2段目左に在り、遺物ナンバーで、スケッ
チ図8の第5番との旨がナンバリングされ
ている。甕型の土器のようである。

木工台遺跡角仲人.gif

 上図のように、遺物の写真で右の方に縦
に、いっけんすると漢字で角仲人と書かれ
ているようにも見える。
 古代、仲人は結婚式「なこうど」か鍛冶
職人、公的建造物の建築士等の「専門職」
を意味しているようであり、ここでは後者
の意を取ることにしてみる。すると、

将棋の7世紀前半の成立や伝来を意味しな
いが、角仲人の意味が奇怪

である。そこで、遺物を再度見ると、角に
見える模様は、第2字目であって、

第1字目が使。丈の部分が角のク部分に見
えていて角は誤読、第2字目は用

と判る。角ではなくて使用と見られる。
 そこで「使用仲人」(用の器)の意味と
理解される。つまり使用人と仲人とを混ぜ
た4文字が書かれているのであり、使用人
という、現在で鍛冶屋に限らず社員職人の
意味の事と、自明に理解できる単語が、

飛鳥時代に早くも成立していたという、か
なり驚くべき事実が明らかとなる。

 なお、この遺跡では、平安時代の成立と
見られる土器に、寺院の檀家である事を示
した「門人」という墨書遺物も出土してい
て、識字層の有る程度住む街だったようで
ある。(図版25 左上 第14号住居跡)

木工台門人.gif

 飛鳥時代の日本人の話す言語は、少なく
とも北関東では、現代の日本語と大差は無
かったように見える遺物だと言えるように
思う。(2022/03/23)

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