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愛媛県松山市釜の口遺跡で弥生期奔馬墨書土器(長さん)

愛媛県の表題遺跡の以下紹介する発掘では、
以前「角」墨書土器が出土し弥生時代後期
に現地に帰化人である、漢王朝期の中国人
等が存在して、母国語で漢字を書いていた
のではないかと説明した。今回は更に同じ
発掘報告書に、皇帝に対異民族戦争用の軍
事目的の馬を献上した事を示唆する、漢字
で「奉馬」と書かれた、壷のような土器が
有るので、以下に紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
88717_1_釜ノ口遺跡Ⅲ.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
松山市文化財調査報告書174
釜ノ口遺跡Ⅲ9次・10次・11次調査、
2014、松山市教育委員会・
公益財団法人松山市文化スポーツ振興財団・
埋蔵文化財センター。
 遺跡の位置は、発掘報告書の冒頭例言に
よると、愛媛県松山市小坂釜ノ口。
 以上は本ブログで前に既に紹介している。
 今回問題にする遺物が発掘されたのは、
写真図版に、前の角墨書と同様の、第9次
発掘調査で出土した、遺物であるとの旨の
記載が在る。そこで前と同様に、第1節の
「調査に至る経過」によると、出土したの
は西暦1999年前後となる。
 遺物の成立年代は、第3号溝の第1層で
出土した遺物であるが、1~3層共に共出
土遺物の形態から、弥生期後期半ばとみら
れるとの旨が、発掘報告書の48ページ
付近に記載されている。以上前の墨書と条
件が、ほぼ同じとみなせる事が判る。
 遺物の写真は、発掘報告書の図版9の、
最下段左に在り、遺物番号第136番と、
ナンバリングされている壷型の土器である。

釜ノ口遺跡奔馬.gif

 上図のように、写真の中央に縦に漢字で
奉馬と読めるような、黒い煤のような模様
が有るように私見される。

冒頭に述べたような経緯の献上馬の存在を
示す遺物

なのではないか。
 以上のように私は疑っている。(2022/08/01)

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