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山梨県塩山市下西畑遺跡で4C後半奔車墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代の墳墓に関連する住居跡と
みられる遺跡から、漢字で奉車と書かれている
のではないかと疑われる遺物が、出土している
との旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
7248_1_下西畑遺跡西畑遺跡影井遺跡保坂家屋敷墓.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第196集
下西畑遺跡・西畑遺跡・影井遺跡・保坂家屋敷墓、
2002.3、山梨県教育委員会・山梨県土木部。
 遺物はこのうち、最初の下西畑遺跡の第1号
竪穴住居跡で出土した模様である。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所は、
山梨県塩山市赤尾769。遺物が出土したのは、
西暦1998年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、下西畑遺跡の第1号住居
跡は、発掘報告書によると、第3号方形周溝墓
と、成立年代が同じとの事であり、発掘報告書、
第9ページ付近の第3号方形周溝墓の説明によ
ると、墓の成立年代は、古墳時代前期(4世紀)
の後半と考えられているように読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第6:”
下西畑遺跡・西畑遺跡”の、第3段目右の、
土器破片の集合写真の、下段左端に在る。

下西畑遺跡奔車.gif

 上図のように、破片4~5枚のうち、中央の
方形の大きな物に、反時計回りに40°前後傾
いて、字としては縦に、漢字で奉車と読めるよ
うな、煤模様が在るように見える。注意深く読
んでも第2字目は「車」に近く日本で古墳時代
の墓の周囲で、作業用に何らかの車両が存在し
たようにしか思えないように思考される。以下
も私見だが。中国等から輸入できさえすれば、
日本で車輪付きの、何らかの物品運搬器具は、
4世紀の段階でも使用出来たのではないかと、
私は疑う。(2022/08/20)

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