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愛媛県松山市松山城より江戸期王将絵茶碗(長さん)

今回は、食器として使用される江戸期成立
の瀬戸物に、扇の全面に王将の五角形将棋
駒の図柄が描かれた、松山城から出土し
た遺物の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
129423_1_史跡松山城跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
松山市文化財調査報告書207史跡松山城跡、
2022、松山市・松山市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、愛媛県松山市丸之内・堀之内。
遺物が出土したのは、発掘報告書の第2
ページによると、第20次発掘のときで
あり、西暦2017年前後出土と読取れる。
 遺物の成立年代は、末尾の抄録によると
江戸時代である。
 遺物の写真は発掘報告書のスケッチ図第
10:”三之丸跡第20次出土遺物実測図
(1)”旨の右上隅にあり、スケッチ図第
10の第4番との意、ナンバリングされて
いる。遺物観察表によると、猪口となって
いる。が、スケッチ図には、茶碗のような
形の瀬戸物の絵が描いてある。外側側面の
「扇面」と猪口では言わているとみられる
場所に、以下の図のように、扇とその全面
に乗せて在るような、将棋の王将駒が描か
れている。

松山城三の丸20次王将.gif

 扇の更に向こうにある物品の絵は催事の
備品関係か。五角形の将棋駒の底辺の線を
細くして、下部が左右に八の字に見えるよ
うにし、末広がりのめでたさと、駒が前に
進む、積極的な雰囲気を出している。職人
が詳細な漢字教育を受けていないと見られ、
旧字体の将は、兆のようでもあり正確で無
い。近代作の可能性は少なかろう。よって、 
江戸時代の器物であるから、当時も盛んな
将棋がデザインとして採用されたのであり、
食材入れとして、普通に使われた物品であ
ろう。
 なお全国遺跡総覧には、この記事を書い
た2~3日前に、本遺物が記載された発掘
報告書が、データベースに登録されたよう
である。(2022/08/26)

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