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福島県三島町小和瀬遺跡で縄文晩期奔馬墨書土器(長さん)

今回は西日本の弥生時代である、西洋紀元前後
に成立の、福島県の縄文晩期の土器に、漢字で
奉馬と、墨書があるように見える遺物が出土し
ているとの旨の紹介である。

墨書縄文晩期土器の一例とみられる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
122340_2_只見川流域築堤工事遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
福島県文化財調査報告書第546集
只見川流域築堤工事遺跡発掘調査報告1小和瀬遺跡、
西暦2022年、福島県教育委員会・福島県
文化振興財団。
 発掘報告書第1本文pdf:
122340_1_只見川流域築堤工事遺跡発掘調査報告.pdf
の冒頭の例言によると、遺跡の場所は、
福島県大沼郡三島町大字桧原字
下小和瀬。遺物が出土したのは、西暦2019
年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの第127ページ付近の説明によると、
遺物は深鉢の破片で、縄文時代晩期、西洋紀元
前後のものと、推定されているように読取れる。
 遺物の写真は、第2写真図版pdfの写真図
版第44:”遺構外出土土器”の第3段目左に
在って、スケッチ図第98の遺物番号第1番と
の旨、ナンバリングされている。比較的大型の
土器の破片のように私には見える。

只見川奔馬.gif

 上図のように、左下隅に、左から右に横に並
んで、漢字で奉馬と読めるような、煤のような
模様が在る。福島県の奥只見にも漢王朝時代の
中国人がおり、磐梯山・鶏頂山・那須岳等方々
で鉄鋼石を探す傍ら、渓谷の間を縫って異民族
戦争用の軍馬用の牧場を、その頃現地で経営し
ていたのかもしれない。遺物は漢王朝皇帝へ、
馬を献上する際、使用する土器なのかもしれな
いと私見している。漢の皇帝は、馬用の水鉢が、
弥生土器では無くて、晩期縄文土器である事を、
ほとんど気にしなかったであろう。(2022/08/04)

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