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岩手県石鳥谷町で平安初期山泰墨書土器(長さん)

今回は、岩手県の山間部の遺跡で平安初期、
9世紀とみられる成立年代の、墨書土器が
複数発掘され、以下紹介する遺物には墨書
は無いとされるが、私見では「山奉」と書
かれている疑いのあるという史料の紹介で
ある。平安期に識字層が山間部に月見等、
自然を楽しむ享楽用の別邸を建てて、住ん
でいたようにも見える。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
21569_1_貝の淵Ⅰ遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第428集
貝の淵Ⅰ遺跡発掘調査報告書、西暦2003年11月、
岩手県花巻地方振興局土木部・財団法人岩手県文化振興事業団
埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、岩手県(当時:稗貫郡。現:花巻市)
石鳥谷町関口31-2。遺物が出土したの
は、西暦2002年前後の事のようである。
遺跡は、北上川支流の河川近くで、山間部
の丘陵地であるということである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書本文の第
41ページ付近の記載によると、遺物は第
11号住居跡から出土したが、一帯の住居
跡は、平安時代前半の成立と考えられてい
るようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
29:”遺構内出土遺物(8)”の最下段
中央に在り、遺物番号第63番との旨、
ナンバリングされている、杯のような形の
ロクロを使って作成した、古代の土師器の
ようである。

貝の淵山泰.gif

 上図のように、側面図の中央少し右に、
山奉と、奉が、少し右にズレているが、
縦2文字の墨書が在るように見える。なお、
第2字目の奉の字は、図の下の方の底面図
の方が、少し見易い。付近の山を奉じた、
祭祀用のようにぱっと見には、私には見え
た。字が薄いので、発掘報告書では墨書の
指摘が無かったようである。
 なお、写真で縄文土器のような斜め筋が
見えるが、写真印刷のせいのようである。
例えばロクロ使用の墨書土師器として、報
告書の写真図版第40:”遺構内出土遺物
(19)、遺構外出土遺物(1)”の、第
2段目左に、遺物番号第152番として、
以下のような、先ほどと似た形の杯型土器
で、こちらはより墨書のはっきりとした写
真が在る。

貝の淵月家.gif

 この遺物にも斜め筋があるが、縄文では
なく、写真のせいのようで、土師器と記載
されているように読取れる。なお蛇足だが、
発掘報告書で遺物番号第152番は文字が、
「勝」と釈文されていて、完全否定は困難
だが個人的にはそうでなく、「月家」と読
めるように思う。
 さきほどの遺物は、山を奉じているが、
杯である為祭祀用ではなく、識字層の享楽
用の別邸で使用する酒杯なのかもしれない
と、下の方の遺物の文字を私なりに解釈し
て、そのように思いなおすようになった。
 月家というのは月明かりの美しい山間部
の別邸の意味であり、平安時代初期に月見
をしたので、別邸の名称をそのように、呼
んだのかもしれないと私は思う。この原稿
を書いていたのが、たまたま満月の盆の季
節であった為、余計そのように私は疑った。
(2022/08/14)

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