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大阪府富田林市新堂廃寺跡遺跡等で飛鳥期泰山墨書瓦(長さん)

今回は、7世紀の飛鳥時代に建造された廃寺
の瓦に、奉山と墨書されているとみられる例
の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
17913_4_新堂廃寺跡・オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
富田林市埋蔵文化財調査報告35新堂廃寺跡・
オガンジ池瓦窯跡・お亀石古墳、2003年、
(大阪府)富田林市教育委員会。
 遺物は3つの遺跡のうち最初の新堂廃寺跡
ないし2番目のオガンジ池瓦窯跡で出土した
ようである。
 発掘報告書第1本文pdf末尾の抄録によ
ると、遺跡の場所は新堂廃寺跡が大阪府
富田林市緑ケ丘町。オガンジ池瓦窯跡が、
大阪府富田林市緑ケ丘町ないし中野との事で
ある。
 遺物の成立年代は、遺跡群自体が飛鳥期の
ものであり、瓦も7世紀成立と読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第4写真図版
pdfの、写真図版123:”平瓦Ⅱ1
J1c群。平瓦Ⅱ1J1d群。平瓦Ⅱ1
J1e群”の最上段に在り、遺物番号
平209番との旨ナンバリングされていて、
煤のような薄い模様が在るのは、外側のよう
である。

新堂廃寺跡泰山.gif

 上図のように、写真の右側に縦に、山の字
の第1画目が短くしか残っておらず薄いが、
奉山と読めるような薄い模様が在る。大阪府
富田林市付近に、高い山は無いとみられるが、
大阪府の南東部に位置する為低山の山際地帯
である。よって鉱物資源を採集する目的の移
住者が、寺の瓦等に、鉱脈探査の成功を祈っ
て書いた祭祀用だとすれば説明出来、地方の
鉱山に向かう途中に、大阪府に居していたと
も考えられる。以上のように見なせば、論に
致命的な矛盾は無いのではと、私は考える。
大阪の難波京でも7世紀時点でなお、そのよ
うな渡来人の、拠点になっていた可能性が、
全く無いとは言えない事を、この史料は示し
ているのではないだろうか。(2022/08/28)

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