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石川県羽咋市四柳白山下遺跡で9C奔人墨書土器(長さん)

 今回は、平安時代の初めの墨書土器に走人・
恭人、あるいは奉人のように見える、判読がやや
困難な文字史料が有るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
26291_2_羽咋市四柳白山下遺跡Ⅰ.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
羽咋市四柳白山下遺跡Ⅰ、2005、
石川県教育委員会・財団法人石川県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書の末尾抄録によると遺跡の場所は、
石川県羽咋市四柳町。遺物が出土したのは、
西暦1994年前後の事のようである。
集落跡だが、羽咋市自体は、一ノ宮が有名で古墳
が有るという事である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第1本文
pdfの第267ページ付近から始まる「まとめ」
のトップに、遺跡自体が7世紀後半~9世紀中頃
の集落跡であるとの説明があり、同じく発掘報告
書の第268ページの右の墨書土器の成立年代表
によると、8~9世紀の平安時代に入った頃成立
とみられる土器に、墨書遺物が多いように記載さ
れている。
 遺物の写真は、第2写真図版pdfの、写真
図版第34:”A・B地区出土墨書土器(4)”
の第2段目右端に在り、遺物番号第696番との
旨ナンバリングされた土器の、恐らく裏面の、
拡大写真とみられる。発掘報告書では、2文字で
あり、第1字目が不明で、第2字目が「人」と、
釈文されているとみられる。

四柳白山下奔人.gif

 上図のように、第1字目は、奉であれば上部
縦棒が1本余計のようであるし、走では下部だけ
しか似ていないし、判読困難な事は確かで、将棋
関連遺物の証拠としては、かなり弱い物品である。
 そこで、別の墨書土器を見ると、第647番と
して、忍人と発掘報告書で釈文された遺物が有る。
 この墨書も第1字目が不明確で、私には「毘」
の意図の用にも見える。毘人とは、友人・恩人
に近い意味では無いのだろうか。
 後者の「人」墨書の類であるとすれば、奉人
でも通るかもしれないし、恭人と書かれていて、
「お客様用」という、相手をたてたイメージで
はないかと思う。
 仮に、以上の解釈が正しければ、神社でその器
を使用する人間を、特定するためのものであると
いう解釈とは別に、該土器は祭祀とは、かかわり
が薄く、このケースに限っては平安時代の接待用
の食器に、識字層が単に字を書いただけという、
経緯のものなのかもしれないと、私は推理する。
(2022/08/27)

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