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石川県小松市二ツ梨一貫山窯跡で古代奔馬墨書土器(長さん)

今回は、須恵器の土器に発掘報告書では一文字
「完」と書かれているとされるが、不明確な
ものの「奉馬」にも見える、古代9世紀後半か
ら10世紀半ばの平安時代にかけて成立の、
墨書土器の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
37812_1_二ツ梨一貫山窯跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
二ツ梨一貫山窯跡、2002年、小松市教育委員会。
 発掘報告書冒頭の抄録によると遺跡の場所は、
石川県小松市二ツ梨町一貫山40番地。遺物が
出土したのは西暦1994年前後の事のようで
ある。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第5ページ
付近によると、二ツ梨一貫山窯跡は戸津オオダ
ニ地区内の窯跡遺跡で、8世紀~10世紀半ば
の、加賀の国衙が栄えた頃の、大きな鋳物生産
地の一部であるということである。この遺物は、
その時代の成立とみなせる。発掘報告書第
340ページないし、それ以降の説明によると、
以下紹介する遺物は「F地区第7号窯灰原」で
出土したが、その地点の須恵器は、共出土遺物
の形態から9世紀後半~10世紀中の平安時代
成立と見なされているように読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第38:
”F地区第7号窯灰原及び粘土採掘坑群出土須
恵器1”の最下段左から2番目に在り、
”皿A底「完カ」墨書”と付記されている。

二ッ梨奔馬.gif

 上図のように、模様が不明確だが、模様の左
下部分が、漢字で馬と書かれているようにも見
え、その右上の部分は、不明解だが「奉」であ
ると言われれば、否定できないような模様であ
る。

国衙に関連して窯が成立していたのなら、献上
馬も合わせて飼っていても、さほどの不思議は
無い

のではないかと、本ブログの管理人に私見され
る。馬のように見える少し濃い模様の、右上の
模様は不明快であり、釈文完も否定できる根拠
は、この遺物自身の中には乏しい。他の遺物で
発掘報告書で釈文されているが「米加」という、
単純に考えて「年貢」を連想させる墨書土器や、
大とされるが夫で横棒が一本多い字かもしれず、
奉と関係があると疑われる墨書須恵器も出土し
ている点は、「奉馬」を匂わせているようにも
に私には思える。
 米は貴重だし、献上馬も国衙に納める兵器だっ
たので、付帯させる土器も、土師器よりは一段
格の高い須恵器だったのではないか。以上のよ
うな事情で、この墨書が存在するのではないか
と、私は疑っているという事である。(2022/08/18)

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