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青森県青森市野木遺跡で10C前半雷走馬墨書土器(長さん)

以前青森市の古代成立の本遺跡は「角行」墨書
土器「奉馬」墨書土器が出土し紹介済みである。
が、後者の奉馬と類似の概念である、走馬ない
し、雷走馬という、大局将棋の駒、雷走と走馬
をつなぎ合わせたような漢字模様のある遺物が
出土している事が、以前紹介した同じ発掘報告
書に載っているのを見つけたので、以下に紹介
する。

10世紀前半の平安時代に成立した「奉馬」墨
書の類であろう。

遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 以前に紹介した発掘報告書そのものであり、
pdfファイル名と、発掘報告書の名称は、
各々、以前に述べたとおり以下のようである。
1102_6_新町野遺跡発掘調査報告書II・野木遺跡発掘調査報告書II.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
青森市埋蔵文化財調査報告書第54集-2
野木遺跡発掘調査報告書Ⅱ、西暦2000年、
青森市教育委員会。
 遺物は、このケースも野木遺跡で出土している。
データベースの第1pdfは、新町野遺跡の発掘
報告書の本文pdf、第2pdfから第5pdf
までが野木遺跡の発掘報告書の本文pdfである。
前記の発掘報告書表題は、第2pdfに記載され
ていて、第1pdfは新町野遺跡に関して、別の
表題が付いた、別の発掘報告書である。
 遺跡の場所は、第5pdf末尾の抄録によると、
青森県青森市大字野木字山口。遺物が出土したの
は、西暦1998年前後。以上も既に紹介したと
おりである。
 遺物の成立年代は、第5pdfの614ページ
付近の記載から、鉄生産の行われた遺跡であって、
全体が10世紀前半の、短期間存在した遺跡では
ないかという事であった。
 遺物の写真は、第6写真図版pdfの写真図版
第188:”平安時代遺物 16”の上のカラム:
”竪穴住居跡60・63・64・65・66各号”
の最上段右から2番目にある。集合写真なので、
遺物番号は付いていないようである。遺物は杯の
カケラで、写真は裏面のようである。

野木遺跡走馬.gif

上図のように、裏面の右上に、漢字で雷のような
模様が在り、その左下に漢字で、かなり明確に、
馬に見える模様が在る。ところが、馬の上、雷の
左に、”走”の土の十が、はみ出て見えないよう
な漢字模様があり、

3文字であって「雷走馬」のように見える。

 製鉄遺跡であるから、鉄を打つときの火花が、
雷のスパークを連想させ、雷神信仰もそこから発
生して平安期には盛んだったのであろう。京都へ

馬を献上するときに、駿馬である事を強調したと
考えれば、奉馬や奉龍馬の意味

ではないかと取れると思う。奉馬墨書も共出土し
ているので、その類の馬といっしょに献上する器
という事なのであろう。(2022/08/10)

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