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高知県高知市泰泉廃寺跡で奈良初龍馬墨書瓦(長さん)

今回は、高知県高知市の泰泉廃寺遺跡で出土
した瓦片に「奉龍馬」と、墨書されているよ
うに見える墨書遺物の紹介である。

武装集団が死去した俊馬の慰霊に使用した瓦

等かもしれない。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
10897_2_秦泉寺廃寺第6次調査.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
高知市文化財調査報告書第27集秦泉寺廃寺(第6次調査)、
2004年12月、高知市教育委員会。
 発掘報告書第3写真図版pdf末尾の抄録
によると、遺跡の場所は高知県高知市
中秦泉寺142-1。遺物が出土したのは、
西暦2000年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書、第1本文
pdfの第97ページ付近によると、7世紀
後半から8世紀初頭の、飛鳥時代末から
奈良時代初と見られているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の前半写真図版
pdfである、前記第2pdfの写真図版第
19の下段右側にあり、遺物番号第29番と
の旨ナンバリングされている。上下に、瓦の
内側と外側の写真が有るが、そのうち上の方
の内側の写真に、漢字で龍馬と書かれている
ような、煤模様が在る。

泰泉寺龍馬.gif

 上図のように、縦に第1字目の龍がやや曖
昧だが、龍馬であると言われれば、そのよう
にも見える模様で在り、更に龍の字の上に、
何か”木”のような模様が見える。

「奉龍馬」の3文字ではないかと、本ブログ
では考える。

よっ、てこのケースは将棋駒の名称で無く、
祭祀用であろう。
 戦闘用に用いる俊馬が死んでしまったので、
慰霊を行ったように見え、武装集団が居して
いたのではないかと私見する。発掘報告書に
も指摘が有るが、渡来人の秦氏と関連の有る
集落が、近傍に存在するようである。
(2022/08/29)

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