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茨城県つくば市梶内向山遺跡で古墳期木将墨書土器(長さん)

今回は、つくば市の古墳時代成立とみられる
堀跡から漢字で木将と読めるような模様の在
る、椀状の土器遺物の紹介である。

多分だが奉山と書かれているのではないか

と疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
18950_2_梶内向山遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第199集
梶内向山遺跡、西暦2003年、
国土交通省常総国道工事事務所・日本道路公団・
財団法人 茨城県教育財団。
 発掘報告書冒頭に挿入された抄録によると、
遺跡の場所は、茨城県つくば市大字梶内字
キノサキ197番地。遺物が出土したのは、
西暦2001年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf:
18950_1_梶内向山遺跡.pdf
の第11ページ及び、その少し後ろによると、
堀跡1・3は古墳時代の住居地の外堀で、出
土遺物も、その頃であると考えられているよ
うに、読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第2写真図版
pdfの写真図版(PL)第37の2段目右
に在り、遺物番号第3堀跡(SD3)の第
250番との旨、ナンバリングされている。
椀のような形の土器のように、私には見える。

梶内向山木将.gif

上図のように、土器の写真で中央上端に漢字
で「木」のような煤模様があり、その下に、
黒枠文字のような、はっきりしない模様で、
ヘンが将の、旧字のように見える模様が在る。
ツクリは、将の右側のような「十」のような、
漢字としては不明確な模様である。
 大大将棋の「木将」の字が、古墳時代の土
器に書いてあったとしたら、この将棋種が、
安土桃山時代成立と見る本ブログの論とは、
大差が在る。しかし将の字が、いかにも不明
確である。
 恐らくだがこの遺物には、以前紹介した、
別のつくば市の上野陣場遺跡の山将と同じく、
奉山等と書かれていて、筑波山信仰に関連す
る祭祀用の遺物ではないか。将に見える第2
字目は、へんの縦棒と一番最後に書く部分が
本物で山の1~2画目。十字は左上部分のみ
字の一部で、山の第3画目が見えているのか
もしれない。上野陣場遺跡の遺物と同じで、

形も碗の類で、カテゴリーが同じなので。

同類なのではないかと、私は今のところ疑っ
ている。なお、字がかなりぼやけているのは
確かで、発掘報告書には、この遺物が墨書土
器であるとは、特に指摘が無いようである。
(2022/08/08)

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