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新潟県小千谷市城之腰遺跡で縄文後期奔馬墨書土器(長さん)

今回は新潟県の縄文時代のたぶんだが晩期
の土器に、漢字で奉馬と書かれているよう
に見える遺物があるとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
23249_2_城之腰遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
新潟県埋蔵文化財調査報告書第29集城之腰遺跡、
1991、新潟県教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の
場所は、新潟県小千谷市大字山谷字城之腰。
遺物が出土したのは、西暦1980年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf:23249_1_城之腰遺跡.pdf
の、第127ページ付近の記載によると、
この遺物自体が形から縄文時代後期の初め
の頃に成立したと、推定されているように
読取れる。なお、この地方の通称年代と、
絶対年代との対応については、発掘報告書
同じく第1pdfの、第114ページ付近
に説明がある。
 遺物の写真は第2写真pdfの写真図版
第110:”その他の土坑ピット出土土器
10”の下から2段目中央に在り、遺物番
号第1704番とナンバリングされている。
下部に縄文の有る、土器の小さな破片のよ
うに見える。

城之腰奔馬.gif

 上図のように、反時計回りに回転してい
る上に、第1字目がやや薄いが、縦に漢字
で「奉馬」と書かれているように私見する。
 新潟県の縄文晩期に成立したものであっ
て、帰化人により、晩期に縄文土器に、漢
王朝皇帝宛の貢物の馬にちなんで、奉馬と
墨書された西暦前後成立の、墨書ではない
だろうかと私は疑う。新潟県小千谷には、
西日本での弥生時代後期頃に、帰化人が
経営する、対異民族戦争用の戦闘馬の牧場
が、鉄鉱石の採掘を兼ねて牧場の開かれた
日本の九州や近畿と同様にその頃、ひょっ
としたら存在したのではなかろうかと、私
は疑っている。(2022/08/02)

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